仏の道。
1月20日(日)晴れ
稽古の後、昇級祝いと称して茶帯昇級の先輩と、昼食した。彼は自分の宗教を大学時代
から、信奉しているので、その点はどうしても自分の反中に無し、これは何処まで行っても
平行線だろう、昨日うちの嫁の姉さんが亡くなられたが、自分的には二の足で出かける気に
ならない、今日その話題が出たが、彼は昔の悪い評判だけでそんな事はあり得ないとの
事だが、自分達はこれをどう消すのか良く分らん、お坊さんもい無い葬式など信じられない
祖父が明治2年生まれ、其の時賊が入り両親が殺された、と聞いてそして祖父は寺に
預けられた、其処の住職の養子となり、小さい時から修業ばかり其の思いでの横浜
総持寺に行く。祖父の時代から毎日拭きこまれた廊下はピカピカにニス等では無い
修業のお坊さん達の毎日の、廊下拭きの結果なのだ、広い敷地内は別世界が、墨染の
衣の坊さん達を見ていると、此処の空間はまるで違った感じだ、お坊さん方の荘厳さは
もう、頭が自然に下がる、托鉢に出られていた、若いお坊さん達に自然と自分ながら
手を合わせ拝んでいる、当然皆さんも両手を合わせて拝んで来られた。
今のジャニーズとの比べる時点ではないが、此方のお坊さん方は全然違いがあるし
仏様に使えている方達とはこんなにも、自分は仏の道は矢張り、由緒正しき物がなければ
これtが日本なのだ、決して新興宗教など自分が信じる事は出来ない、こんな環境で育ち
生きてきたのに、絶対に仏様の有り難さを心から感じた。祖父が永平寺でも修業して来た
事も一杯聞いている、そして小坊主の時、公卿が長州藩士に守られて、祖父の寺に
隠れられ、毎日の食事のお世話もしたそうだ、まだ本当に子供の頃だったのだろう
村の歴史に残したいと、祖父の処に毎日当時の様子を聞いて、書き残していた新聞記者の
方が来られていた事もあった、祖父は昭和27年に亡くなったが、棺の中に袈裟もドンスの
高級なものだった。今も自分は毎日祖父の戒名も読みあげてお祈りしているが、考えて
みればもう、60年も過ぎているのだが。20世和尚として。昨日は何故か気持良い一日を
過ごした。これも有り難く思わなければ罰が当たると信じる。
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