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今日の行事。

又今日も行事かよ、昨日終わったのかと思っていたら今日が本番かテレビも見たくも無しなんで此処まで国民総バカに
あれだけの人間が?なんのお祝いかよ
税金の無駄使いしやがって、ふざけるな
我々までがお祝い等の気分になれるか
戦地で亡くなった方達の事を考えたら
許す事は出来ない、近隣国に遠慮して
靖国神社にも参拝せず、平成天皇はお詫び行脚ばかりで廻られた、今なぜ?
お祝いが出来るか、自分は心底から腹が立つ、此の年になり戦後の父の気持ちが痛い程分かる、俺の20代後半から40代までの人生を返せと、ここに何度も書いているが勲章から軍刀まで風呂の焚き火に投げこんで怒っていた気持ち、三回も召集が来て、三回目の時もうトラックは一台も無いのに俺の仕事は無い、戦地で戦うのが嫌で最後まで上官に反発して万年上等へいほし三つ、最後の面会の時私は恥ずかしい気持ちであったが父は毅然と金筋の入った方が、挨拶に古参兵どのと敬礼
そして酒とおはぎを持って来られた時
私は、15年も兵隊の飯を食っていた証かと思った、父は運転手として国のお役に
立てればよしと思っていたのだと、其れが国は何をしてくれた何一つ恩恵はもらってなかったのだ、母も何も言わなかったので私は分から無かったが、国債も僅かしか無かったそうだ、弟から亡くなる
少し前に初めて聞いて其なのに女学校に
入りしかも寄宿舎、母と弟が毎日干物の買い出し其れを村の山奥の方に売って歩いたそうだ、そんな事も理解せず呑気に学級を卒業終戦後新制高校が出来
後一年行った同級生もいた、私は旧制
女学校卒だ、今思うと一番私達が戦争の
真っ只中にだから今私は政府は何もしてくれない、しかも陛下の為に死んで行った特攻隊の若い方達に対して祈るべきであろう、だから今日の用な行事には
本当に怒りのみ、私は国から何も恩恵は被って無い、こんな怒りはきっと誰もわかってもらえ無いだろうな。
ただ母が必死に何度も都営住宅に通い係のかたに邪魔だ帰れと怒られても弁当持参で雨のひも風冬のさなかも廊下に座り
抽選日に少し遅れて行ったら母は前列に
最後に当たりが出た時は、母に本当に感謝した、母のいつもの言葉がお前が一生
住む場所だけ確保しなければと、今思うとありがたいアパートだったら追い出されていたと思うと、母に感謝と昔の都知事に感謝する。

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